| — | Twitter / @objectO (via atm09td) |
携帯電話を持っていない人は、今時あまりいない。
殆どの知り合いとは連絡先を交換し、連絡を取ろうと思えば何の苦労もなく繋がることができる。わざわざ家に電話する必要すら無い。更には、mixiやfacebook、twitterなど、SNSやコミュニケーションのツールが充実して、知り合いだけでは無く、気になる人の動向すら自分の家から出ずに確認できる。
これらのツールの特徴の一つは、相手を選ぶことができるということだ。自分の選んだ相手と繋がることができる。これは、最早当然の事のように思えるけど、よく考えると少し不思議だ。
普通の出会いでは、相手を選べないことが多い。何の情報も得られない相手と出会って、付き合っていく中で相手のことがわかっていく。少しずつ、ほんの少しずつ相手のピースが集まって、ぼんやり全体像が見えてくる。そうして、連絡先を交換した上で、より密接に繋がっていくためのツールだった電話や手紙などのツールに対して、ネット上のツールというのはやはり異質なものを感じる。
ネット上で出会った誰かと仲良くなることもよくあることだ。相手がネット上に晒しているものが、本来のその人とは違うものでも、ネット上だけで付き合うならあまり問題では無い気もする。これはこれでいいかな、と思えるくらいには、ぼくだって現代っ子だ。
そんな現代っ子のぼくが、こんな時代だからこそ面白そうだなっと思うのが、無線だ。
ぼくが初めて無線に興味を持ったのは中学生の頃だ。小学生のころはまだ携帯電話を持っている人なんかいなくて、中学生でも携帯電話を持っていない人もいた。インターネットでも2ちゃんねるはあったけど、今ほど活発なSNSみたいなものは無かった気がする。ダイヤルアップの高額請求とか、パケ死とか、そんな時代だった。どこかの知らない人と簡単に繋がるということは、それなりのリスクを伴う行為だった。中学生の頃にはだいぶ手軽になってはいたけど、それでも今ほど身近なものではなかっただろうと思う。
そんな時代だったから、無線機というのはとても魅力的に見えた。秋葉原に通って勉強なんかもしたけど、残念。当時のぼくには無線機を買うだけのお金も無かったのだ。悲しい事実と共に、無線を諦めゲルマラジオなんかを作って自分を慰めていたのは、今となってはいい思い出だ。
それから時がたって、無線のことなどすっかり忘れていたのだけど、ついこの間気に入っていたラジオが壊れて何か良い物が無いか探していると、偶然無線のサイトに行き当たった。
最初はいろいろ新しいものが出てるんだな、くらいの感じで眺めていたのだけど、よく見るとトンデモない進化を遂げている。広域帯ハンディ無線機・改造済み・出力5Wが5万円台。な、なんだこれは。普通に買えちゃうじゃないか。
10年ぶりに熱がぶり返した。勢いで買ってしまった。なんだ、この年になって無線小僧か。
実際にいろいろいじってその機能に驚いた。AM・FM帯の感度なんかは勿論、50MHz帯も430MHz帯も知っていたものは全部使える。鉄道無線、消防無線なんかも登録済み。バンド機能、GPS、APRS、なんか改造しようが無いくらいに充実していて説明書読むのが嫌になるくらい。
部屋で適当にスキャンすると、たくさんの交信を簡単にスキャンしてキャッチできる。なんてこっただ。
ここでやっと話が戻るけど、無線の面白さは相手を選べないことにある。誰かが聞いていてくれないものかと、自分の声を電波にのせて飛ばすのだ。運が悪ければ誰も答えてくれない。聞いてくれていないかも知れない。自分の居場所や天候、季節にまで左右される。
これは、最近のツールには無いある種の新鮮さがある。新鮮では無いのだけど、ここまで来ると一周回って新鮮に感じるじゃないか。アナログ全開でなんか泥臭いのだけど、最近ではそういうコミュニケーション方法をとるのが難しくなっている。いいじゃん、こういうの。わかってもらえないかもしれないけどさ。
今日も空は賑やか。たくさんの人の声が、波に乗って飛んでいる。
『おいお前、フィルムはどこの使ってんだよ』
『カラーリバーサルはAGFA。モノクロはILFORDだ』
『な、なかなか渋いな』
『お前は?』
『俺はリバーサルはフジとKodak。モノはネオパン』
『フジ押しだなあ』
『うるせえな、気に入ってんだよ』
なんて会話してみたい。
でもなかなか難しいよなあ。みんな、フィルムカメラ始めないかなあなんて思う。(実はこの世界に二人程引き摺りこんだけど)
こんなご時世にフィルムカメラを始めるメリットは正直言って、ない。
それこそラボに行くようなプロか、趣味の世界だ。
コストパフォマンスは良くない。撮った写真見せて、って言われても、『中一日待ってください』となる。『あ、今日土曜日だから、次の営業日発送で4日かかるかも』なんてこともある。撮った写真頂戴よ。なんて言われた日には悲惨だ。日常使いとしては全くおすすめできない。ブログにアップなんて最早苦行。
それでも、たまにフィルムカメラの宣伝促販をしている。
『フィルムカメラはいいよ。持ってると彼女できるよ』
なんて悦に入った顔で適当なことを言って、F3を触らせてシャッターを切らせると、うっかり魅せられてこっちの世界に来てしまう可哀想な人がいる。しめしめ。
まあ、それは半分冗談として。まずはみんなの好きな画素数のおはなし。
よくフィルムは何画素?というちょっと意味不明な質問をされるけど、訊かれてもわからん。
フィルムカメラが銀塩カメラと言われるのは、感光剤に使われているのが塩化銀だからだ。つまり銀原子の大きさがどうの、なんて話になるのだけど、これは比較するものではない気がする。フィルムのISO感度によって違うし、デジタル素子の性能にもばらつきがあるし。何をどう比較すればいいのかさっぱりわからない。
銀塩カメラを信仰している方々の間では、デジタルはフィルムに追いつかないなんていうおはなしをよく聞くけど。それもどうだろう。これは議論するのがかなり難しい。デジタル素子の性能はこの2、3年で信じられない程向上している。高画素=暗さに弱い、の図式も最早遠い昔のお話な気がする。NikonやCanonの1000万画素を超えるフラッグシップモデルでISO3000で撮影すると、もう魔法のような写真が撮れる。高感度?なにそれ好感度の誤変換?ってな状態である。
コンパクトデジカメや、デジタル一眼入門機は、残念ながらまだフィルム一眼と比較できる状態では無いというのがぼくの感想。コンパクトデジは受光素子の大きさが違う。そもそもレンズの大きさが違う。
ただ、デジタル一眼のフルサイズの上級機、ハイアマチュア機、プロ機はかなりすごいことになっている。積んでいる画像処理エンジンも日々進化している。32Gのメモリーカード入れて、JPEG+RAWデータ撮影なんてすごいじゃない。やりたい放題じゃない。
はて、画質に関しては、どっちがどうの、という話ができないと、どうしたらいいものか。
更に悲しいお話をすると、昨今のフィルムは通常デジタルプリントなのである。現像したフィルムをデジタルデータにしてそれをプリントしている。つまり、フィルムからこっちの作業はデジタル写真と変わらないのだ。orzである。
じゃあもうどうすんのよフィルム。立つ瀬ないじゃない、な話なのだが、ちょっと頑張ってフィルムのいいところを探してみよう。
まずは色再現のおはなし。
これはまだフィルムに一日の長あり、という感じがする。デジタル一眼フラグシップモデルといえど、画像処理無しにフィルムの表現する色合いを出すのはまだまだ難しいというのがぼくの感想。NikonのD3とCanonのEos1Ds MarkⅢを使って現像、プリントしたものと、NikonのF6をリバーサル撮影、ラボで現像プリントして、写真屋さんと討論した結果だ。
特にデイライト撮影。フィルム撮影での色の出方、深み、空気感はデジタルにはまだ難しい。人肌や陰影の深みも、控えめに見てもフィルムの方がいいよね。というのが共通の意見。
そして、撮影時。
一本36枚という緊張感。残弾を確認しながら一枚一枚撮る。撮りきったら巻きあげて新たなフィルムを装填、カウントが0になるまでシャッターを切り、再び撮影。次に撮る環境を考えてフィルムも選ばなくてはならない。ISOは?メーカーは?理想の色を求めてフィルムを使い比べる楽しさも、デジカメにはないものだ。
最初はLatitudeの広いネガから。慣れてきたらポジを使って、気に入ったものだけをプリントしていく。その中でも特に気に入ったものはラボで引き伸ばして額に入れてお部屋に飾ったりなんかしちゃったりして。
撮り終わったフィルムは写真屋さんに持っていく。うまく撮れたかは仕上がりまでのお楽しみ。今はフィルムをやる人が少ないので、決まった個人の店が出来れば確実に顔を覚えてもらえる。常連になったら出来上がったフィルムを一緒に見て、これ、引き伸ばしちゃおうよ、なんてお話もできる。その人がカメラマンならアドバイスだってもらえる。こういうことは、デジカメだとちょっとやりづらい。
欲しくなってこない?フィルムカメラ。
じゃあ購入編。
カメラはいろんな所で売っているけど、まずは触ってみること。新宿は中古カメラ屋さんがたくさんあるのでおすすめ。保証も付くものを買うのが吉。握ってしっくりくるか。シャッターの音が気に入るか。写真を撮っていると、『ああ、250分の1秒のシャッター音が一番好き』なんて危ない感じになるかも。全機械式カメラにするか、電子シャッターの新しいものにするかも悩みどころ。NikonのF3なら、傷を気にしなければ5万程度で良い物が買えるかも。一眼もいいけど、レンジファインダーも渋いよね。Leicaは手が届かないかもしれないけどNikonS3なんてもう。ミノルタのCLEもかっこいい。頑張れば、5万以下のものもあるんじゃないかしら。いっそ中判カメラなんて手もある。もうここまで来ると抜けだせない危ない世界。ハッセルブラッドは高いけど、ローライフレックスとかさ。高いか。でも一回撮って現像したら、もう大変。空気感まで撮ると言われる中判カメラにやられたら、確実にジャンキー。
そして大切なレンズ選び。できるだけ明るいものを。つまりF値が小さいもの。最初は50mm単焦点のF1.4くらいがあれば上等。カビてない、保証付ならOK。バックが綺麗にぼけた写真もばっちり撮れる。
http://fujifilm.jp/personal/filmandcamera/filmcamera/35mm/klassew/index.html
http://www.nikon-image.com/products/camera/slr/film/fm10/index.htm
http://jp.leica-camera.com/photography/m_system/mp/
http://www.mapcamera.com/shopping/category.php?category_id=filmcamera&reset=1
いかがでしょう。欲しくなったら連絡ください。新宿まで付き合います。
なんだこれ。どこのテレフォンショッピングだよ。
最近、NikonのD7000というカメラを買った。
DXフォーマット 23.6×15.6ミリ 有効1620万画素CMOSセンサー。画像処理エンジンはEXPEED2。常用ISO感度は100~6400。シャッタースピード1/8000~30秒。フォーカスポイント39点。
こんな感じ。
79,000円で購入。キャッシュバックキャンペーンを使って実質69,000円。
この値段に対して、十分過ぎるスペックだと思う。
まずは1620万画素。これが結講すごい。写真を四つ切り以上に引き伸ばすことはあまりないが、月の写真を300mmで撮ってトリミングなんかすると、1620万画素はそれなりにいきてくる。演奏会の写真を最後列から撮影して、一人ひとりアップにして現像、なんてことをしても実用に耐えうるものになるのはいい。
感度も2500くらいまでは使用に耐えうる画質だ。薄暗い結婚式でも被写体ブレがないのが嬉しい。VRレンズと組み合わせると、何でも撮れるんじゃないか、と思ってしまう。
フォーカスポイント39点。これも思っていたよりすごかった。迫り来る猫なんかをピントが追従していく様はちょっと笑えてくる。
静音シャッターモードも個人的にはかなり使える機能だ。演奏会の撮影でも、本体をタオルでぐるぐる巻きにして使うと、ほとんどシャッター音を気にしないで撮影ができる。
アクティブDライティングもなかなかの性能で、明暗の別れた被写体や、晴天下の撮影でもいい表現をしてくれる。
中級機でこの値段を考えると、いい買い物をしたと思える。
少し気になるのは外での撮影で少し露出オーバーが多いこと。外でなくても、少し明るめに出ることが多い。あとは基本設定で撮ると、若干色が派手目なこと。まあココらへんは設定でなんとでもなる。
フルサイズではないので、広角にすこぶる弱いのはまあ仕方ない。20mmを使っても30mm相当になってしまうと聞くと、ええ…となってしまうけど。まあ自分が後ろに下がればいいさ。
今までメインで使っていたのはF3だ。銀塩カメラ。こいつの操作性に慣れていたため、どうしても安いデジタル一眼に手を出す気になれなかったが、D7000はなかなか使い心地がいい。
本体を握った感じもいい。ダイヤルやシャッターもカタカタしてなくてなかなかだ。
ここまでは最新機のちょっとしたレビュー。
ここからは銀塩カメラのおはなし。
前回の記事で書いていたNikonのFM2、実は4年程使って壊れてしまった。いつか直してあげようと思って手元にはおいてある。
シャッターが切れなくなってしまったときは少し泣いたが、そんな落ち込んでいるぼくに叔父が一台のカメラを譲ってくれた。それがF3だ。
デザインはGiorgetto Giugiaro。アルファ・ロメオとかのあの人。
持った瞬間に、『ああ、カメラマンになりたい』と思ってしまうフォルム。有り体にいえば、カッチョいい。ちょっとそこら辺のデジタル一眼では味わえない感覚だ。
フィルムの巻き上げの滑らかさ。まるでLeicaみたい。ダイヤルの操作性もすばらしい。シャッター音。もう嗜好品と言っていいレベルだと、個人的には思っている。
不満と言ったらAE機能と電子シャッター。なんというか、敏感すぎて使いにくい。撮影対象の色なんかに機敏に反応しすぎて、いい露出が得られないことが多い。シャッターも機械式なら、電池が切れても使えるのに。なんていう。まあ緊急用の60分の1シャッターがついているのだけど。
このカメラを手にしてしまったのが、ある意味ぼくの不幸の始まりで、それ以降、デジタル一眼を触ってもプロ機以外はおもちゃに思えて買う気になれなかった。持ってがっかり、シャッター切ってがっかり、なんてことになる。でもプロ機なんて買えないし…っていうアマチュア&学生の悲しさ。
それでも、いいものを使うという喜びを与えてくれたのがこのF3だ。大学生のとき、F3をぶらさげて歩いていたら、何度か教授に話しかけられたことがある。
『F3!僕も使ってたよー。懐かしいなあ』
『F3、学生時代欲しかったけど、買えなかったんだよね』
なんて。そんなカメラなのである。
その時の教授とは今だにお付き合いさせてもらっている。素晴らしい出会いまで与えてくれるカメラなんて、なかなかない。ぶら下げていたのがLeicaのM3なんかだったら、いけ好かないガキだ、なんておもわれていたかもしれないじゃないか。
ぼくと年齢が変わらないにも関わらずいまだ現役で動いていることにも恐れ入る。
携帯電話、何年に一度機種変更するだろう。その新品のコンパクトデジカメ、デジタル一眼、20年後も現役で動いているだろうか。
そういう意味では、壊れない、というだけでもそれなりの価値があると、ぼくは思う。一世を風靡しようがなんだろうが、もう動いているものがないのでは、語り継がれたりはしないのだ。
そんなわけで、D7000を買った今も、F3は現役で使っている。デジタル一眼は便利だけど、F3のシャッター巻き上げが恋しくなってしまう。写真を一枚一枚撮る喜びをいつでも思い出させてくれるいいカメラ。
大切な相棒だ。
ぼくがはじめて買ったカメラはNikonのFM2。レンズは単焦点50mmF-1.4。
露出計が付いただけのほぼフルマニュアルなカメラだ。電池が切れても露出計が動かないだけで、他の機能は全て使える機械式カメラ。
実はこのカメラ、半ば不本意に買ったものだった。本当はLeicaというカメラが欲しかった。Leicaを首からぶら下げて歩いている自分までイメージして買いに行ったのに、いざ店について価格を見ると、値段に腰を抜かした。Nikonの同年代の中古カメラと比べ、20倍はする価格設定。当時、初めてのバイトで稼いだ4万円を注ぎ込んでもレンズ一本買えなかった。
不本意と言っても、初めての自分のカメラだ。嬉しくなってカメラを買ったその足で、フィルムを買いに行った。初めて買ったフィルムはFUJIFILMのISO100。ネガフィルムだ。
家に帰ってくると、外はすっかり暗くなっていた。我慢できずに家の前で一枚撮った。次の日は、一日家の周りを歩きまわって色々なものを写真に収めた。1日待って仕上がった36枚。袋から取り出すと、まずぶれぶれで何を撮ったのかすらわからない写真が目に入る。最初に撮った写真だ。その他も見るに耐えない写真ばかり。
写真って、難しいな。というのが第一。まずブレない写真を撮るのが目標になった。フィルムを入れないでシャッターを切り、ブレないようなフォームを作る。次に、自分の実力を知ること。何分の1秒までならブレないで撮影できるのか。
最初は30分の1秒くらいが限度だったのが、15分の1秒くらいまで撮れるようになる。そのうち、中望遠レンズを使っても集中すれば8分の1秒くらいまではいけるようになった。
これが第一歩だ。
ぶれなくなって、初めてフレーミングも気にするようになる。絞りの機能を理解し、カメラの構造のこともわかってくる。
フィルム20本くらい撮った頃には、この明るさなら絞りいくつでシャッタースピードはコレくらい、と判断ができるようになった。
ここまで一人で出来るようになって、初めて叔父さんにカメラのことを相談した。叔父さんは、ぼくのFM2の当時のカタログと、35mmレンズ、ポジフィルムをプレゼントしてくれた。
『ポジはlatitudeが狭い分、しっかり撮れれば綺麗な写真になる』
そんなことを言われたが、当然意味が分からない。まずポジフィルムってなんだ。
ポジフィルムは簡単に説明すると、色が反転しないフィルム。よくスライドショーなんかで使うやつ。って言ってもわからない人も多いか。普通に暮らしてたら見ること無いし。
まあとにかく、このポジフィルムで10本分の写真を撮って、叔父さんに見てもらった。すると、
『この中から、5枚、選んでごらん』
5枚なんて選べない。そう思った。360枚撮って5枚なんて。
それでもなんとか5枚選ぶと、今度は
『じゃその5枚の中から1枚』
今度はぱっと選べた。一番気に入っている写真があったからだ。
叔父さんは、写真を撮る度に選ぶクセをつけろ、と言った。それも、自分の中で選んだ理由をちゃんと付けること。捨てる理由をちゃんと決めること。
この習慣は、自分の中で後々活きてくることになる。
それはなぜか。
後々取捨選択をするということがわかった上で写真を撮るようになると、まず無駄撃ちしなくなる。一枚一枚考えて撮るようになる。
そうして、自分の中で気に入るであろう写真を撮れるようになると、更に選ぶのが難しくなる。それでも選ぶ。
これは、写真が上手になる最も簡単な方法だと思うのだ。
現在では写真はデジタルが主流になっている。いや、ぼくがカメラを買った時もデジタルが主流だった。
写真はカメラとメモリーカードなどの初期投資さえすれば、誰にでも手頃に楽しめるものになった。失敗してもその場で確認し、プリントする前にデータ上で消去もできる。挙句はiPhoneなんかでそれなりにお洒落な写真までとれてしまう。これではプロのカメラマンも用無しじゃないか、などという話にもなるが、そんなことはない。
プロのカメラマンというのは、撮ろうと思ったものを技術と知識と機材で正確に撮ることのできる人間だ。iPhoneでフィルター効果をかけた、味のある写真を撮れたからといって、カメラマンにはなれない。知らない人もいるかもしれないが、iPhoneは実はカメラではない。学生時代、学食でiPhoneをいじりながら、どうやったら写真がうまくなるか訊かれたことがある。問題外だ。カメラ買ってこい。
絞りもシャッタースピードもいじれないコンパクトデジカメでは思い通りの写真は撮れない。レンズの口径も違う。
1000万画素以上のカメラがやっぱりいいのかな。なんて言われると、こいつはどこまで写真を引き伸ばすつもりなのかと思ってしまう。
勿論これらのお話は、その質問をしてきた人達が悪いわけではない。オーバースペックなコンパクトデジカメや、カメラの仕組なんて何も理解していなくても、それなりの写真が撮れるカメラが次々に発売され、市場に溢れているからだ。
カメラのことなんか興味ないけど、それなりの写真撮りたいよ、って人は、常に最新の高価なデジタルカメラを買えばいい。それで、だいたい解決する。
ただ、写真をうまく撮れるようになりたい、という人は、まず勉強すべきだ。カメラとは何か、シャッターとは何か。絞りは?感度は?
こういうことは、今時ネットで検索すればいくらでも親切なサイトがある。
そういうことも調べたけど、それでもうまくなる方法が知りたい、っていう人には、そのメモリーカードの中から、5枚選んでみよう。とぼくは言うだろう。
いくらでも撮れるから撮るのではなく、自分で規制をかけていく。手ブレ補正なんて全部OFFにしてしまえ。フィルタなんてかけるな。そのまま撮ってみろ。
それでまともな写真が撮れるようになって、いろいろな機能を使うようになると、現代のテクノロジーのありがたさが身にしみる。
なんてね。
叔父が結婚した。
叔父はカメラマンで、ぼくが小さい頃からたくさんの写真を撮ってくれている。叔父は学生時代から写真をやっていて、友人や同僚の結婚式にはカメラマンとして駆り出されていたらしい。
そんな叔父がついに自分の結婚式をあげることになったのだ。さて、困った。自分が主役なのだから、自分では写真が撮れない。そこで、ぼくに声がかかった。ぼくは買ったばかりのNikonのD7000をぶら下げ叔父の結婚式に向かった。
幸せそうな人を写真に収めるのは楽しい。撮った写真を嬉しそうに見てくれているのを見ると、とても幸せな気持ちになる。
二次会で写真を撮っていると、叔父の古い友人から声をかけられた。その方は、ぼくも昔からテニスの相手をしてもらったりと、お世話になっている方だ。兎に角エネルギッシュで、一緒にいるだけで元気を貰えるような人。
『最近、叔父さんのブログ見た?』と訊かれ、
『見てないです』と答えると、
『彼女と知り合ってからさあ、すっかり変わっちゃったんだよ。なんかね、今までは、昔からみんなの写真なんか撮ってたせいか、どこか一歩引いた感じの内容だったのよ。物事を俯瞰してるっていうかさ。それがだよ、すっかり主観モードよ。撮る写真まで変わっちまってんの。人って変わるんだねえ』
その時は、そんなもんかな。と聞き流していた。
それから数ヶ月後、我が家の大掃除をしていて大量の写真が出てきた。ダンボールにして5箱ほどの量だ。その写真はなくなった祖父母のもので、整理して処分する事になった。
整理している間、兎に角きつかった。ほとんど知らない人たちしか写っていない写真を何千枚と整理するのだから。そのほとんどは捨てることにした。それでも、中には捨てられない写真があった。写っているのが、知らない人でもだ。
その写真を見ていると、それを撮影していた人の表情までもが見えてくる気がする。なんとなくカメラを回していてシャッターを切った、というのではなく、一応記録に撮っておこう、というのではなく。写真の中に、物語が見えてくるような感じ。
はっと息を呑んで、思わず切り抜いてしまった一瞬。後で撮ったやつを見せてあげよう、とか、そういうことではない。どこまでも自分の主観で切り抜いたような写真に、妙な魅力を感じた。
祖父母の写真を整理し終わったあと、自分の写真も整理することにした。中学生くらいまでの写真は小さなアルバム一冊分くらいになってしまった。パソコンのデジカメデータも大量に処分。
なんというか、こんなに持っていても仕方ないな、って気になってしまった。ふっと見返したくなった時に、パラパラと見返せるくらいの量が丁度いいのではないかと。なんとなく身が軽くなった。
それ以来、自分の撮る写真が少し変わった気がする。撮る量も減った。カメラを握っている時間は変わらないけれど、シャッターを切るタイミングとか、ファインダーを覗いている時の気分が、なんとなく違う。
どう変わったのかと訊かれるとまだうまく言葉にできない。ただ、なんとなく、ファインダーの向こうに見える世界に自分もちゃんといる、というような、今までにない感覚がある。これは結講悪くない感じだ。
なんだか、まとまらなくなってきた。
まあ、ぼくもちょっと主観的になってきている、ということなのか。
なにやってんだか。
「死人の頭 (la tête de mort)」と呼ばれる蛾はほかにある。スズメガ科のヨーロッパメンガタスズメ(Acherontia atropos)がそれで、下図のように、ゴッホが描いたものとは、まったく別の蛾である。トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(新潮文庫)に出てくる蛾といえば思い出すひともいるだろう。
(via ゴッホの髑髏蛾)
(via magai)
| — |
Twitter / essa (via rpm99) (via kml) (via appbank) (via proto-jp) (via yaruo) (via ssbt) (via nagas) (via katoyuu) 2010-05-06 (via gkojay) (via takaakik) (via deli-hell-me) (via yaruo) (via kounaoe) (via sugitaro) (via hydrogenblr) |
| — | 続・日本のクリエーターはなぜ金持ちになれないか | サンキュータツオ教授の優雅な生活 (via tsuda) (via jinon) (via sett4) (via fukumatsu) (via ichimonji) (via yaruo) (via tooruff) (via ssbt) (via numbnumbclub) (via gkojax) (via hydrogenblr) |
| — |
これは回って来るたびにリブログするしかない名言 (via uncate) 50回くらいリブログしてる気がする (via daiskip) 気持ちいいほど本質。 (via 19770221, shibata616) (via thinkupstudio) (via ranpie) (via potekichi) (via hkdmz) (via ryuhei) |
ステキな男女の会話は社交ダンスのようなものだ。互いの呼吸を感じ、繰り出すステップで気持ちを伝えあう。時に抱きよせ、耳元でそっと囁く。『君は美しい』
一転、言い訳をしている時というのは、いわば一方的に組み伏せられている状態だ。のど元に刃を突き付けられていると言ってもいい。それでも我々は必死に主張する。『違うんだ!誤解だ!話を聞いてくれ!ちょ、』
一般的には、後者の状況に陥る方が多いことと思う。ぼくはどちらかというと、後者しかない。
言い訳をしなければならないような状況に陥っても、いくつか選択肢はある。
1、土下座
2、プレゼント
3、徹底抗戦
ひれ伏して謝るのが一番早いかもしれない。しかし、己が非を認めたが最後、全てが灰燼に帰すような破滅的な状況もあるだろう。プレゼントはやめた方がいい。金で解決しようなどという阿呆野郎は、重税に苦しんだ挙句、果てはルンペン・プロレタリアートとなること、火を見るよりも明らかだ。それでは、我々は戦うしかないのか。誰も骨など拾ってくれないのに、戦い続けるしかないのだろうか。
いくつかのケースを挙げながら考察してみたい。
【ケース1】
彼女と幸せな一夜を過ごした翌朝。窓からは優しい日差しが差し込み、小鳥が鳴いている。まだ寝ているあなたを優しく見つめる彼女。あなたは寝ぼけて言った。
『なおみ』←彼女の名前ではない。
緊急事態発生である。
日は陰り、小鳥は飛び去った。あなたは薄々状況を把握しつつ、まだ目をつむっている。
このケースでは、簡単な基礎構文が使える。
『あれ、まさおとゆうこは?あ、夢か…』(ゆっくりと目を開け、もう一度閉じ、狸寝入りを決めながら)
自然なクレッシェンドからのデクレッシェンドがポイントだ。訊かれてもいないのに、夢の中で会っていたのは複数人だと言うことを必死に主張する。室内に満ちた殺気が鎮まるまで、決して目を開けてはならない。じっとむにゃむにゃ言いながら堪えるのだ。
以上は、戦わずして状況を打開できるケースだ。できることなら戦いは避けるべきだ。三十六計、逃げるに如かず。
これは、あなたの人生を少しだけややこしくするライフハック。
つづく。


![inujita:
贅沢釜飯 by ゆん_ [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが97万品](http://24.media.tumblr.com/tumblr_lki60eeDXL1qzs01ro1_500.png)
